【備忘録】新型コロナウイルスによる今後の変化
色々感じることがある。唐突の変化に対応するのはやはり厳しい。
新型コロナウイルス(Covid-9)のパンデミックに世界各地で猛烈にアレルギー反応がおこっている。
世界で広がるアレルギー反応による経済影響
イタリアでは感染者が爆発した。有名な観光地にだれもいない。
写真はコイン投げで有名なローマのトレビの泉。
シングルショットが撮れるなんて、流行病の反応がよく分かる歴史的な一枚かもしれない。
経済はほぼ完全に停止。
コロナ前後で70~80%くらい経済活動が止まったという実感を覚える。
日本国内でも、大阪、京都市内もほとんど人が歩いていない。(実際は歩いているが、以前を知るとそういう感想になる)
おそらく、色んな店が苦境になるだろう。
既にインバウンドに依存してきた会社が倒産したというNEWSが流れている。このパンデミックが収まっても、倒産して減った企業数が、もう一度もとの生産量に戻るには時間がかかる。
新しく人を集め、施設を揃え設備を整えないと事業が始まらないからだ。倒産してしまってはゼロからのスタートになる。回復は一気にこない、ゆるやかなカーブを描くはずだ。
だから、このパンデミックにより、多かれ少なかれ経済不況が訪れるだろう。円高ドル安の動きになり、輸出量・観光業・国内投資など減衰していくと僕は予想している。大変なことになったが、これはある意味では大きな転換期でもある。
グローバルに依存するサプライチェーン
新型コロナが中国から発生し、中国の工場は皆停止した。その影響で車関係・農機具関係・生産機械、建設業でいうと、エアコン・キッチン、トイレ、内装ドアなど、僕たちの毎日の生活に関わる商品の製造がストップした。またトヨタ生産方式(カンバン方式)の優れたマネジメント方法が、製造業の広い分野で浸透しており、各工場が在庫をもたなくなっている。
人が動かなくなったことに加えて、モノが動かなくなったことも、今回の経済停止に大きく影響を与えている。
一つの商品、製品のサプライチェーンがグローバルに関係しており、互いに持ちつ持たれつの相互依存関係にある。今回のコロナショックで、全世界がそれを実感したのだと僕は思う。
ナショナリズムを追求して良いのだろうか?
この4年間は、トランプ大統領が「アメリカ・ファースト」を掲げて、他の主要国も皆がナショナリズムを追求し始めた。その結果米中経済摩擦が起こり、英国はEUから離脱。ヨーロッパ経済界を引っ張ってきたドイツの超優秀指導者のメルケル首相はAfD(ドイツのための選択肢党)の台頭により苦境にある。
それに加えて、このタイミングでサウジアラムコが原油生産量増加に踏み切った。先物価格は大暴落になり、これから価格競争が始まる。アメリカのシェールオイルは値段をどれだけ下げられるだろうか。サウジアラビアとやりたくもない大喧嘩をしなくちゃならなくなった。
論法として少し乱暴かもしれないが、これらは苛烈なナショナリズム(他国無視の自国主義)の影響だと僕は思うのだ。
ナショナリズムを追求することは、これからの子供たちにとって、本当に良いことなのだろうか。その哲学だけで国家を経営する指導者に権利を与えてよいだろうか。政治的にポリシーのなかったいわゆるノンポリ世代にも、今回のコロナによって、そんな意識があちこちで芽生えると僕は思う。
21世紀の哲学は何になるべきなのか?グローバリズム?
さてそうすると、新時代の哲学はなにになるのか。ナショナリズムの反対語は3つあります。
- 国境なき経済活動を可能にしたグローバリズム
- ポリスをつないで一つの国家と見るコスモポリタニズム
- 普遍性ある共通点を尊重するユニバーサリズム
この3つです。
以前、三島由紀夫の「僕は世界市民にだけはなりたくない」という文を日経新聞で読んだことがあります。三島由紀夫は自国の歴史や哲学がなくなり、日本がなくなることを危惧したんだと思います。
時期は、アメリカ大統領選挙の時の新聞だったと思います。あれから4年。もう一度その議論を僕たち若い世代が、自分の言葉でやるべき時代がきたのだなと思います。
「ナショナリズムでないなら、なんなんだ。」
この答えが新時代になるでしょう。